嫌いだった先生が、実は愛が深かった話
嫌いだった先生が、実は愛が深かった話
こんにちは、14です。僕はイギリスの小学校に1年生〜4年生まで通っていました。
その時僕が、大嫌いだった先生がいました。仮にH先生と呼ぶとします。
それでは、"僕とH先生の思い出"について綴っていきたいと思います。
▽H先生の特徴
・30代〜40代 白人女性
・常にキツイ顔をしている、怒ると怖い
・特に自分に厳しい感じがしていた
以下)イメージ図
ロランダ・フーチ | Harry Potter Wiki | FANDOM powered by Wikia より引用
▽H先生と出会って5分で怒られた話
H先生との出会いは、小学校1年生の登校、初日であった。
初めての登校日、理由は不明だが、みんなより遅れたタイミングで教室に入室したのを覚えている。
僕の小学校は1年生とはいえ、幼稚園が付属として内部に存在していた。
そのため、自分以外のクラスメイトはみんな知り合いで、"転校生"的な立場だったのだ。
入室するとすぐに、みんなと同様に教室の地べたに座らされた。(小1は地べたに座って授業聞くスタイル)
そして、不安と飲み込めない状況から、僕は足を足を伸ばし、バタバタさせた。
H先生 『NO!』
副担任H先生は、僕にビシーット視線を合わせて首を横に振った。
何か怒られている、まずい!という状況は察知するものの、英語の"NO"さえ分からなかった僕はとりあえず、色んなアクションを起こした。
①姿勢を正す
②腕を後ろに伸ばしていたのを前に置く
しかし、2つとも不発っ。H先生の首を横に振る動作は止むことを知らない。
③足をバタバタさせるのを止める。
H先生 『YES! (ニッコリ) 』
これかっ!これがいけないのか。
幼稚園では許されていた足をバタバタするという行為はこの小学校では通用しなかった。異国の小学校に入学した5分後にH先生に注意されてしまった。
これが僕とH先生との出会いだった。
▽H先生に叱られまくった1年間
その後も、僕はとにかくH先生には怒られまくった。
僕は小学校1年生の時、担任の先生に怒られた記憶はあまりない。
こちらも女性で少し小太りな先生だったが、どちらかというと優しい先生だったという風に記憶している。
しかし、H先生は違った。廊下で走ったり、授業中に喋るとか何でも本気で注意してくる先生だった。要するに、"厳しいタイプ"だった。
先生から"BAD BOY"と言われてしまっていた僕は、
週5日中、週5日 登校 した日100%の確率で怒られたのではないだろうか(笑)
※ ちなみに、僕が通っていたイギリス現地の小学校は、他にも問題児ばかりだった。また、真面目な子は"Teacher's pet"日本語で"先生のペット"と揶揄されてしまうような価値観のある学校だった。
- とりあえず、僕は1年間、副担任のH先生に叱られまくって過ごしたのであった。
そして、その頃の僕がもった勘違いがある
H先生は僕のことか嫌いだ
▽小学3年生・小学4年生で再会
小学2年生の時、H先生と関わる機会はなかった。
しかし、小学3年生で再会することになった。
それが"スペシャル・イングリッシュ・クラス"だった。
"スペシャル・イングリッシュ・クラス"とは僕みたいな英語がファースト言語ではない外国籍の生徒に対して、週一で通常のクラスから離脱させて行われる少人数制の英語の授業だった。
この特別英語授業は週1の頻度・5〜6人で実施され、学期ごとに、外国人生徒が入れ替えらていた。
H先生との再会はあまり嬉しくなかった。
なんせ、1年間怒られまくった記憶が脳裏に焼き付いているからだ。
とはいえ、先生の厳しい授業は週一のペースで続いた。(小学4年生の時も実施された)
ただ、一つ変化があったことといえば、以前ほど怒られなくなったことだ。
アホで悪ガキ小学生だった僕も、学習する生物"人間"である。
小学1年生〜小学3・4年生の間に多少は成長をしたらしい。
とはいえ、その厳しさに変化はなく、隙があれば怒られていた。
怒られる=嫌われている
この図式でしか物事を考えられなかった僕は、依然、H先生は自分のことを嫌いだと感じていた。
▽別れの瞬間
そして、別れの瞬間が近づいてきた。小学4年生の時、親の都合で転校することになった。
最終日、色んな人に挨拶を母親とした。(英では親の送り迎えが必須・義務)
僕自身はあまり実感は沸いてなくて、悲しいという感情はそこまでなかった。
むしろ、母親が他のママ友など相手に永遠に挨拶しているので、早く帰りたいとすら思っていた。
そしてようやく帰ろうとしたその時だった。
校庭で僕は呼び止められた。
H先生 『〇〇(自分の名前)!』
そこには、外に出ていたH先生がいた。
文化の違いもあると思うが、思いっきりハグをされた。
そして次の瞬間、H先生の目からは涙がこぼれ落ちた。
そして僕に別れの言葉を涙ながら贈ってくれた。
僕はガキながら、戸惑った。
小学1年生の英語を喋れない頃から自分を叱り続けた、僕のことを大嫌いなはずの怖いH先生が、目の前で涙を流しているのだ。
▽回想
たくさん、怒られ、そして叱られた。
それを、"自分のことを嫌いだから"と解釈していた。
しかし、最終日H先生の涙でそれが 優しさ だったことを知ったのだった。
(終)